文武両道・失われた日本の心

いつの間にか忘れられた「日本の心」。古きよき時代の記憶を呼び戻す、愛書記・読書記。
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新古今和歌集 (万葉集はもう一つ好きになれない)

和歌はやっぱり、新古今和歌集。
正直言って、万葉集は、もうひとつ好きになれない。

鈴木大拙翁に言わせれば、「日本的霊性」が、まだぜんぜん、萌芽すらない。

いってみれば、まだ、日本精神の特性が、あらわれていない。

 ただ、この「日本精神」なる言葉を用いると、何だか戦前的な国家主義的なものを連想されても困る。

日本人としてのアイデンティティーと、取って欲しい。

  みわたせば、やまもとかすむ水無瀬川、夕べは秋となにおもひけむ
                          (後鳥羽上皇)


 文武両道の上皇らしく、力強い歌も好きだが、総じて哀調を帯びたものが多い。

  亡き人を忍ぶることもいつまでぞ、今日の哀れは、明日のわが身を
                          (加賀少納言)


  さびしさは、その色としもなかりけり、まき立つ山の、秋の夕暮れ
                           (寂蓮法師)


 新古今は、華麗に見えて、その実、死屍累々の巷(ちまた)の現実と表裏した、平家が亡んだあとの、絶望的な無常の風が吹きぬいている。

 いったんは地獄を見なければ、もののあわれなど、知るよしもない。
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